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東京地方裁判所 昭和54年(行ウ)121号 判決

原告

細川悟

右訴訟代理人

平沼高明

関沢潤

堀井敬一

野辺寛太郎

被告

東京消防庁消防総監

花塚辰夫

右訴訟代理人

木下健治

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が昭和五〇年四月二七日付で原告に対してした懲戒免職処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二  被告

主文と同旨の判決

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五〇年四月一日から東京消防庁赤坂消防署予防課長(消防司令長)の職にあつた。

2  被告は、昭和五〇年四月二七日、原告に対しその旨の辞令を交付して同日付で懲戒免職処分(以下「本件処分」という。)をした。その処分説明書記載の処分の理由は左記のとおりである。

「本名は、昭和五〇年四月二五日〇時一〇分ころ、埼玉県春日部市大字大枝四六八番地先四号線国道を飲酒の上自家用普通乗用自動車を運転して走行中交通事故を起こし、その措置と警察官への報告を怠り、人を死に至らしめたものである。

このことは、住民の生命身体財産を保護すべき任にある消防職員として、また、赤坂消防署予防課長の任にあつて部下職員のこの種事故防止について指導をすべき管理職の立場にある者としてその職位を傷つけ、職の信用を著しく失墜したもので全体の奉仕者としてふさわしくなく、その責任を厳しく追及しなければならない。

よつて、地方公務員法第二九条第一項第一号及び第三号により懲戒免職に付するものである。」

3  原告は、本件処分を不服として東京都人事委員会に同年六月二一日付で不服申立てを行つたところ、同委員会は昭和五四年八月三日付で右不服申立てを棄却する旨の裁決をした。

4  しかしながら、本件処分には、以下に述べるような違法がある。

(一) 事実誤認

(1) 原告は、本件処分理由説明書記載の交通事故(以下「本件事故」という。)の前日にウイスキー水割り一杯弱を飲んだのみであつて、本件事故当時飲酒により運転に影響を受ける状態ではなく、処分説明書に記載されたように「飲酒の上」という事実はない。

(2) 原告は本件事故当時衝突したものは単なる物であると認識していて、人間であるとは思わなかつた。従つて、原告が報告義務違反等を犯した事実はない。

(3) 本件事故は、原告の車両が被害者に衝突した後、後行の車両が被害者を轢過して死亡せしめた二重轢過事件である。従つて、原告の行為と被害者の死との間に相当因果関係はない。

(4) 以上のように、本件処分は、事実上の根拠に基づかないものである。

(二) 裁量権の濫用

懲戒免職処分は、職員の生活の基盤を奪う重大なものであるから、懲戒免職処分をするには、刑事処分に劣らない厳密な証拠と適法な手続によつて事実を認定したうえ、その事実が懲戒免職処分に相当するかどうかを判断しなければならない。本件において証拠上認定することができるのは、原告の過失により被害者に原告運転の車両を衝突させ、その直後被害者が他車により轢過されて死亡した事実のみであつて、その余の事実は証拠により認定することができない(飲酒運転及び事故後の措置と警察官への報告を怠つたことについては、刑事裁判において公訴も提起されていない。)。

自動車の運転による人身事故の発生そのものは、酒酔い、無免許等著しい道路交通法違反を伴わない場合には一般に地方公務員法二九条一項三号の「非行」に該当せず、しかも職務外に行われた場合には同法三三条にいう「その職の信用を傷つける行為」にも該当しない。

のみならず、本件事故の被害者は、深夜、飲酒酩酊して、歩道があるにもかかわらず車道上をジグザグ歩行していたものであり、しかもその着用していた紺色のトレーニングウエアは折からの雨に濡れてほとんど黒色といつてよい状態にあつたのであつて、自動車運転者にとつてこのような歩行者の存在を予測することは、極めて困難な状況にあつたから、このような状況下においては、原告の行為はますます「非行」にも「その職の信用を傷つける行為」にも該当しないというべきである。

更に、原告は、事故直後、被告に対して迷惑をかけたとして、妻を介して退職の意思を表示したのであるから、被告は、懲戒免職処分によらなくても妥当な処分をすることが可能であつたというべきである。

以上のような事実関係の下においては、本件処分は裁量権の濫用であつて、違法である。

(三) 適法手続の欠缺

本件処分は事件覚知後わずか二四時間の間に、十分な調査も慎重な検討も行うことなく、また、原告の弁解を聞くこともなしに行われたものである。

懲戒処分、特に懲戒免職処分のような極めて重大な処分を行うについては、被処分者に弁解の機会を与えなければならないことは、憲法三一条の適正手続の保障規定やイギリス法における「自然的正義」の原則すなわち「何人もその弁明の機会を与えられないで、その不利益な結果を帰せられることはない。」との原則から要請されるところである。実定法においても、地方公務員法二七条一項が「すべて職員の分限及び懲戒については公正でなければならない。」としているのも実体的にその内容が適正妥当であることを要するのみならず、形式的にもその手続が公正適正であることを要するとしているものと解すべきである。また、東京消防庁消防職員懲戒取扱規程三条が、所属長がその所轄する職員を懲戒上申するには、非違者の始末書又は供述調書を添えてしなければならない旨を規定しているのも、本人に弁解の機会を保障する趣旨からである。

ところが、本件の処分手続においては、右規定に定める原告の始末書又は供述調書をとつていないのはもちろん、原告の弁解をきく機会をも与えていない。被告は、原告が警察署に身柄拘束されており、接見が許可されなかつたため弁解をきくことができなかつたというけれども、原告は当時逮捕直後であつてその時点において接見が許可されなかつたからといつて直ちに弁解をきかないことが正当化されることにはならない。現に処分説明書を交付した昭和五〇年四月二七日には接見が許可されていることからみても、しばらく待てば原告から弁解をきくことは可能であつたというべきである。

更に、被告の主張するところによつても、赤坂消防署の職員が本件事故の発生を覚知した昭和五〇年四月二五日午後四時ころから本件処分を決定した翌二六日午後五時すぎまでには、わずか二四時間余しかなく、その間の夜間、早朝を除くと、実質的に調査、審理に要した時間は一六時間程度にすぎないうえに、被告の本件事故内容についての調査は、赤坂消防署長の春日部警察署飯島巡査部長からの事情聴取及び東京消防庁人事課長二宮政直の春日部警察署長野村重彦からの事情聴取のみであるところ、飯島巡査部長は本件事故の捜査担当者ではなく、またその聴取時は原告の逮捕後五時間しか経過していない段階で捜査もその緒についたばかりであつて十分な情報が得られたはずはなく、春日部警察署長からの聴取も原告の逮捕後二〇時間余りの時点におけるものであり、かつその聴取内容は電話で東京消防庁人事部長にそそくさと報告されたにすぎず、その外には原告の事故前夜の行動について田中齋から事情聴取をしただけである。従つて、本件処分は十分な調査に基づく慎重な処分とはいえない。

以上のように、本件処分の手続には、原告の始末書又は供述調書をとらず、その他原告の弁解をきいていないこと、短時間におけるずさんな調査しかしていないことから、不公正であつて違法というべきである。

5  よつて、原告は、本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する被告の認否

請求原因1ないし3の事実は認める。同4の主張は争う。

三  被告の主張

1  処分理由の存在

(一) 原告の地位

原告は、昭和五〇年四月一日から東京消防庁赤坂消防署予防課長(階級は消防司令長)の地位にあつて、消防署における予防行政の責任者として行政事務の執行にあたると共に、署長に次ぐ立場にある管理職として部下職員の指導、監督、育成に当たり、特に職員の職場内外における交通事故等の各種事故防止についての指導をすべき管理、監督的な立場にあつた。

更に、本件事故当時、東京消防庁では、組織をあげて職員の非行事故防止対策に当たつており、特に管理職員としては、この方針を十分理解し、中心となつて右対策に全力を傾注すべき状況にあつた。

(二) 本件事故発生の経緯

(1) 昭和五〇年四月二四日午後六時二〇分ころから、東京都港区赤坂二丁目一七番四一号所在の料亭「蝶や」において、赤坂危険物安全会関係の懇親会兼赤坂消防署新旧予防課長歓送迎会が開催された。原告は、この会に新任の予防課長として主賓の立場で出席し、同日午後八時三〇分ころまで同所においてビール、日本酒、ウイスキーを飲酒し、引き続き二次会場の同区赤坂七丁目五番三四号所在のスナック「文鳥」に出向き、同所において同日午後九時ころから九時三〇分ころまでウイスキー水割りを飲酒しながら懇談をした。

原告は、この間、関係者が目撃しただけでも少なくともビールを一二〇ミリリットル入りコップ一杯以上、日本酒を杯に二〇杯(一六二ミリリットル)以上、ウイスキー水割りをコップに2.7杯以上、ウイスキーのストレートを四〇ミリリットルの飲酒をした。

(2) 原告は、同日午後九時四〇分ころ、右「文鳥」を退出し、営団地下鉄丸の内線赤坂見附駅から地下鉄、タクシーを乗り継いで東武鉄道伊勢崎線せんげん台駅に至つた。そして、原告は、前記飲酒の影響下の不安定な身体的、精神的状況にあつたにもかかわらず、降雨の中、せんげん台駅付近に置いてあつた原告所有の普通乗用自動車の運転を開始し、毎時約五〇キロメートルの速度で国道四号線(日光街道)を北進していたところ、翌四月二五日午前〇時一〇分ころ、埼玉県春日部市大字大枝四六八番地先国道四号線路上において、前方不注視の過失により、自車前方車道上を歩行中の訴外甲斐幸夫(当時三〇歳)に衝突し、よつて同人を同所において死亡させるという交通事故を発生させた。

(3) 原告は、右のような大きな交通事故を発生させたにもかかわらず、運転していた車両を停止させず、道路交通法七二条一項所定の被害者を救護する措置を講せず、警察官への報告義務を履行することもなく、そのまま自車の運転を継続し、帰宅した。

(三) 右(二)記載の原告の行為は、住民の生命、身体、財産を保護すべき任にある消防職員として、また赤坂消防署予防課長の任にあつて部下職員に対し、この種事故防止について指導すべき管理職の立場にある者として、社会的非難を受けて然るべき、全体の奉仕者としてふさわしくない「非行」に該当すると同時に、消防の職の信用を著しく失墜させたものであり、「信用失墜行為」にも該当する。

(四) 地方公務員法二九条に基づく懲戒処分は、刑事制裁とは性格、趣旨、目的を異にするものである。本件処分において、被告は、原告の行為を、刑事責任の対象として評価したものではなく、もつぱら地方公務員法に基づく公務員の服務義務違反として評価したものであるから、たとえ刑事裁判において公訴を提起されていない事実に基づいて処分がされたとしても、そのことをもつて本件処分が裁量権の濫用であるということはできない。

また、本件懲戒免職処分は、類似事案に関する全国の人事委員会の判定例と対比しても権衡を失するとはいえず、裁量権の濫用はない。

2  処分手続の適法性

(一) 本件処分手続の経緯

(1) 本件事故の覚知及び当日の調査状況

赤坂消防署長福元賢一は、昭和五〇年四月二五日午後四時すぎ、原告の妻から原告が交通事故を起こしたらしいとの電話連絡を受けた同署杉田係長からの報告、埼玉県警察本部交通指導課長からの原告の交通事故についての電話連絡等により原告が交通事故を起こし逮捕されたことを覚知した。そこで、赤坂消防署長は、前夜前記懇親会に出席した赤坂消防署の田中齋係長から原告の飲酒状況など一連の行動を聴取した後、同日午後四時三〇分ころ、東京消防庁人事課長二宮政直に右覚知に係る事実を報告した。人事課長は右報告を受けた直後、東京消防庁人事部長味岡健二に報告するとともに、当時、長野県松本市に公務出張中であつた被告(東京消防庁消防総監山崎達三)に対して電話により原告の本件事故について報告した。

一方、赤坂消防署長及び人事課長から監察を命じられた東京消防庁人事課の浅川進司令は、同署の三人の係長とともに、事実調査のため同日午後五時ころ原告の逮捕されている埼玉県春日部警察署へ出発し、同日午後七時三〇分ころ同署へ到着した。赤坂消防署長らは、春日部警察署において、原告との接見を求めたが、捜査の必要上から断られたので、同署の交通主任であつた飯島武司巡査部長から、本件交通事故についての状況を聴取した。赤坂消防署長らは、飯島巡査部長から、原告は、同日午前〇時すぎころ乗用車を運転して死亡事故を引き起こしながら救護、報告を怠つたという容疑により、同日午後二時ころ同署で緊急逮捕されたこと、原告は車に物が当たつたことは認めているが人身事故を引き起したことは否定していること、事故当時原告が酒気帯び状態にあつたか否かは不明であること、原告が被疑者とされたのは、目撃者の通報による車両番号を手がかりとしたこと、被害者は男性で身元不明年齢三〇歳くらいで頭部骨折により即死の状態にあつたことなどを聴取するとともに、同署に押収されていた本件事故車両を見分し、その結果同事故車両にはフロントガラスが全くなく、ボンネット左前部に直径約二〇センチメートルのへこみ等の損傷があることを確認した。

同署における調査を終えた後、午後八時二〇分ころ、浅川司令は、右の聴取及び確認の内容を電話により人事課長に報告し、赤坂消防署長は帰署後の午後一〇時ころ、人事課長及び人事部長に電話で、春日部警察署での調査結果について報告した。

(2) 翌日の調査状況

翌二六日午前九時ころ、人事部長及び人事課長は、同部長室において、赤坂消防署及び浅川司令ら関係者を集め、同月二四日から本件事故に至るまでの原告の一連の行動及び本件事故に関連するすべての事項についての調査報告を受け、検討を開始した。

また、東京消防庁人事課の大鐘満は、同日午前九時二五分ころから同一一時四〇分ころまで、原告と二次会の会場(スナック「文鳥」)から途中まで帰路をともにした田中係長から、原告の行動や当時の状況等について詳細に事情を聴取した。この中で田中係長は、原告が平素とは異なる顔色をしていたこと、原告に話しかけたが全く返答がなかつたこと、原告が田中係長と同一方向に帰るにもかかわらず突然電車から一人で下車するような不自然な行動をとつたことなどを供述した。

これより先、原告の元の上司であつた三鷹消防署長若林繁は、原告の妻喜美から事故の連絡と相談を受け、同月二五日夜、喜美と共に春日部警察署に赴いた北郷新一郎から本件事故の内容を電話で確認していたが、その内容を同月二六日午前九時四〇分ころ人事課長に報告した。

更に、人事課長及び人事課浅川司令は、念のため原告に接見して直接事情を聴取するため、同日午前一〇時ころ春日部警察署へ向けて出発し、午前一一時四〇分ころ同署に到着した。しかし、原告との接見は捜査上の必要から認められなかつたので、人事課長らは、午前一一時五〇分ころから午後〇時三〇分ころまで同署長に面会し、同署長から直接本件事故について事情を聴取するとともに本件事故車両の損傷状況を見分した。右聴取の中で、春日部警察署長は、原告は都内で飲酒後都内某所からせんげん台駅までタクシーで来て、本件事故車両を運転し自宅に向つたと供述していること、原告が物に衝突したと供述する場所と本件事故現場が同じであること、被害者の甲斐幸夫は原告の車両の左前ボンネットに衝突された後、同車のボンネット上にはね上げられ、更にフロントガラスに当たつたものと考えられ、原告の車がひいたことに間違いがないものと思われること、原告の車両には頭髪、血痕が付着していること、車両内を清掃した形跡があることから証拠隠滅の行為が認められること、目撃者の通報車両ナンバーが平仮名部分を除き、原告の車両と同一であること等の説明をした。その後、右聴取及び見分内容について人事課長は人事部長に電話で報告した。

一方、赤坂消防署長は、前夜、春日部警察署において聴取した内容、車両の見分状況、懇親会に出席した関係職員の供述をもとに、東京消防庁服務監察規程一〇条に基づき、交通事故調査報告書を作成し、同月二六日午前一〇時ころ人事部長に提出するとともに、本件事故の態様からみて、原告の過去の職場における業績を十分勘案したとしても、懲戒処分は免れないものと判断し、東京消防庁消防職員懲戒取扱規程三条に基づき、東京消防庁第一消防方面本部長を経由して、被告に対して懲戒上申をした。

(3) 処分決定の状況

人事部長は、前記各調査報告を受けて、同日午後〇時三〇分から午後二時三〇分まで、同部長室において、東京消防庁職員審査委員会規程に基づき、本件原告の非違行為の有無、処分の種別及び程度等に関する検討をすべく職員審査委員会を開催した。

右委員会には、委員長である人事部長の外、委員として東京消防庁警防部長、同予防部長、同防災部長、同主幹、そして書記として人事課審査係長が各々出席し、赤坂消防署長の報告及び上申、春日部警察署へ赴いた人事課長からの電話での報告、田中係長からの聴取内容等を資料として、検討が開始された。その途中で春日部警察署へ調査のため赴いていた人事課長が帰庁し、同委員会において、その調査結果の詳細な報告があり、この調査報告をも考慮して慎重に審議が進められた。

そして、右委員会においては、関係者(赤坂消防署長、田中係長)から聴取した宴席での状況、帰宅時の状況及び赤坂消防署長らの春日部警察署における調査の状況等から、次の各事実を認定した。

(イ) 原告は、「蝶や」において開催された懇親会に新予防課長として主賓の立場で出席したが、同会においては日本酒、ビール及びウイスキーが用意され、原告は役員席間をまわり飲酒、懇談を続けたこと。

(ロ) 右会の中締め終了後、原告は同席で役員らと懇親を深め、さらにスナック「文鳥」で行われた二次会にも出席し、同所でも役員らと懇談し、その席にもウイスキーが用意され午後九時四〇分ころ帰途についたこと。

(ハ) 原告は、地下鉄を使い帰宅途上、同行していた田中係長と突然別れて別行動をとり、都内からタクシーに乗り換え東武伊勢崎線せんげん台駅まで行き、同駅付近から自家用車を運転し、埼玉県春日部市大字大枝四六八番地先国道四号線路上において、歩行者と衝突し、死亡させる事故を引き起こしたこと。

(ニ) 原告は、右事故後、救護措置、報告義務を全く履行しなかつたこと。

(ホ) 本件交通事故は公開捜査されたこと。

右(イ)ないし(ホ)の事実を認定したうえ、同委員会では原告の行為について、次のような判断をした。

① 原告は、予防課長という管理職の立場にあり、職員の非違行為等の防止のため、部下職員の職責の自覚を高め、指導、監督すべき立場にありながら、自ら飲酒後自動車を運転し、交通事故を起こし、その措置を怠り人を死に至らしめたことは、消防職員の管理職として著しく職責の自覚に欠け、職位の信頼を失わせたもので、職場規律の維持上、看過することはできない。

② 右の交通事故は刑法二一一条(業務上過失致死罪)に該当する行為であり、社会的にも強く非難されるもので、その責任は重大である。

③ 右のように原告の行為は道路交通法七二条に違反し、刑法二一一条に該当するとともに、地方公務員法三三条の信用失墜行為の禁止の規定に抵触し、同法二九条一項一号及び三号の懲戒事由に該当するものである。

④ 右の原告の行為を考えれば、自動車の運転者としての基本的な責務を怠り、消防職員でかつ管理職にある者の行為としては、たとえ原告の過去三〇年余りの勤務実績を勘案したとしても、その責任は厳しく追及しなければならない。

以上のような公正かつ客観的な検討の結果、同日、同委員会は、原告を懲戒免職処分とすることが相当であるとして、被告にその旨を答申することとなつた。

そこで、同日午後五時すぎに人事課長を通じて被告に答申がされ、被告は、右答申内容及び本件に関する各種調査結果の電話報告に基づいて原告の懲戒免職処分はやむをえないと判断し、同月二七日付をもつて原告を懲戒免職処分とすることを決定したものである。

(4) 辞令交付時の状況

被告は、右決定後も、本件処分を覆すに足りる重大な事実があるか否かにつき情報収集等の調査を継続していたが、そのような事実は発見されなかつたので、同月二七日午後三時ころ、赤坂消防署長は、人事課浅川司令とともに埼玉県春日部警察署に赴き原告に面接して本件処分の辞令及び処分説明書を読み聞かせたうえ、同辞令及び処分説明書を手交した。

(二) 弁解聴取手続の欠如について

本件処分が原告の弁解を聴かないでされたものであることは認めるが、その理由は、前記のとおり、逮捕中の原告に対する接見が捜査上の必要から認められなかつたためである。

ところで、懲戒処分の手続については、地方公務員法二九条二項が条例で定めなければならないことを規定しており、これを受けた「職員の懲戒に関する条例」(昭和二六年九月二〇日東京都条例第八四号)は、その二条において、懲戒手続として処分は書面を交付して行う旨を規定するのみであり、法律及び条例において弁明の機会に関する明文の規定はなく、これを与えるか否かは処分庁の裁量によるものと解される。従つて、捜査上の必要により接見を断られた前記のような事情があり、かつ、消防の職全体の失われた信用を回復するために、十分な調査に基づいて処分をした本件においては、原告の弁解を聴かないで処分をしたからといつて本件処分が違法になるとはいえない。

また、東京都消防庁職員懲戒取扱規程三条は、所属長は非違者の始末書又は供述調書を添えて消防総監に上申しなければならないと規定しているが、それは必ずしもすべての場合に非違者の始末書又は供述調書を添付しなければならないという意味ではない。本件のように捜査上接見を断られた事情があり、他方失われた消防の職の信頼をすみやかに回復する必要のある場合であつて、非違行為の事実を証明できるものがあるときには、始末書又は供述調書の添付は必要とされないものと解すべきである。そして本件の場合、赤坂消防署長が原告の始末書等に代わるものとして事故調査報告書を添えて懲戒上申を行つたことは前記のとおりであるから、右懲戒取扱規程の存在をもつて本件処分を違法ということはできない。

更に、本件の場合、他の調査資料等によつても本件処分事由に該当する事実が十分に認められたのであるから、被告が原告の弁解を聴くことなく本件処分をしたからといつて、それが違法な処分であるということはできない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件処分の存在

原告が昭和五〇年四月一日から東京消防庁赤坂消防署予防課長(消防司令長)の職にあつたこと、被告が同月二七日付で原告に対して懲戒免職処分(本件処分)をしたこと、その処分説明書記載の処分の理由は原告主張のとおりであること、原告は本件処分に対し東京都人事委員会に対し不服申立てをしたが、同委員会はこれを棄却する旨の裁決をしたこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

二処分理由に該当する事実の存在

1  〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告の飲酒について

原告は昭和五〇年四月二四日午後五時四〇分ころから東京都港区赤坂二丁目一七番四一号所在の料亭「蝶や」において開催された赤坂危険物安全会(赤坂消防署の関係団体)主催の役員会及び引き続き午後六時二〇分ころからの同所で開催された同会主催の懇親会に、赤坂消防署の予防課長として出席した。この懇親会には、主催者側から役員十数人が、赤坂消防署側からは福元賢一署長ら数人が出席した。この懇親会は、同月一日付で同署の予防課長に異動があつたことから、新旧予防課長の歓送迎会の意味をも兼ねて開催されたもので、原告は新任の予防課長として主賓の立場にあつた。懇親会では、飲物として、一人当たりビール一本及び日本酒二合と全体でウイスキー二本が用意された。原告は、懇親会において、主賓として、出席者の間を回つて、献杯をしたり、返杯を受けたりし、午後七時四五分ころの中締めの後もその場に残り、安全会の役員らと車座になつて、飲酒をし、懇談した。懇親会は、午後八時三〇分ころ終了したが原告は、安全会の役員の誘いを受けて、二次会場である同区赤坂七丁目五番三四号所在のスナック「文鳥」に行き、午後九時ころから九時三〇分ころまでウイスキーの水割りを飲酒しながら歓談した。

(二)  交通事故の発生について

原告は、同日午後一〇時ころ、営団地下鉄赤坂見附駅から地下鉄に乗車し、北千住駅に至り、同駅前からタクシーに乗車して、東武伊勢崎線せんげん台駅に至つた。原告は、翌二五日午前〇時すぎころ、せんげん台駅付近に駐車してあつた原告所有の普通乗用自動車に乗車して運転を開始し、同日午前〇時一〇分ころ、埼玉県春日部市大字大枝四六八番地先国道四号線を時速五五キロメートルで北進中、前方を十分注視しないで進行した過失により、進路前方左側を同方向に向かつて歩行中の甲斐幸夫(当時三〇歳)に自車左前部を衝突させて同人をボンネット上にはね上げたうえ路上に転落させ、転倒している同人に気づかなかつた通行中の他の車両をして同人に衝突するに至らしめ、よつて、同人に脳挫滅等の傷害を負わせて、同所において同人を右傷害により死亡するに至らしめた。原告は、右の交通事故を引き起し、自車のフロントガラスの大部分が破損し、ボンネット左前部が直径二〇センチメートル位へこむ等の損傷があつたのに、運転していた車両を停止させず、被害者を救護する措置を講ずることもなく、また警察官に事故の発生を報告することなく、そのまま運転を継続し、帰宅した。

以上の事実を認定することができ、〈反証排斥略〉他に右認定事実を覆すに足りる証拠はない。

2  原告は、処分理由に該当する事実について、事実誤認を主張しているので、この点について判断する。

(一)  原告の飲酒について

原告は、交通事故前夜にはウイスキー水割り一杯弱を飲んだのみであり、事故当時運転に影響を受ける状態ではなかつたと主張している。

しかし、懇親会及び二次会の状況は前記認定のとおりであつて、原告の飲酒の量は必ずしも明確ではないが、前掲各証拠によれば、原告は主賓として出席し、出席者と献杯や返杯を繰り返していること、出席者の中で原告が返杯を受けた酒を飲まずに灰皿等に捨てているのを目撃した者は誰もいないこと(この点についての原告本人尋問の結果は信用できない。)、二次会終了後、地下鉄赤坂見附駅で部下の田中危険物係長が原告に話しかけても返事がなく、また、原告の顔が異常に青白かつたこと、同駅から同方向に住む田中係長と一緒に地下鉄丸の内線の電車に乗車したところ、銀座駅で日比谷線の電車に乗り換えるのが通常の経路であるのに、赤坂見附駅の次の国会議事堂前駅で突然田中係長に理由もいわずに一人だけ下車したこと、北千住駅からタクシーに乗つてせんげん台駅に向う途中で居眠りをし目的地のせんげん台駅を行き過ぎたことが認められ、これらの事実からすれば、懇親会の始まつた午後六時二〇分ころから二次会の終つた午後九時三〇分ころまでの約三時間余の間に原告が飲酒した量が原告主張のように極めて少なかつたとは考えられず、他の出席者との間に通常の酒類のやりとりをし、これを飲酒したものと認めることができる。

そうすると、原告は、懇親会及び二次会において相当量の飲酒をした上、その飲酒の影響が消え去つたとは経験則上認められない約二時間四〇分後に交通事故を引き起こしたのであるから、本件処分説明書記載の処分の理由に「飲酒の上」と記載されていることに何ら事実誤認はない。

(二)  原告が人に衝突したとの認識を有していたか否かについて

原告は、本件事故当時人に衝突したのではなく、物(ポールのようなもの)に衝突したと認識していたと主張している。

しかし、本件事故により原告の運転していた自動車は、フロントガラスの大部分が破損し、ボンネット左前部が直径二〇センチメートル位へこむという損傷を受けたこと、本件事故により被害者は原告の自動車のボンネット上にはね上げられたうえ路上に転倒したことは前記認定のとおりであり、原告もフロントガラスが大破したことを当時認識していたと供述しているし、事故による衝撃はかなりのものであつたと推認することができる。自動車運転者としては、フロントガラスが大破し、かなりの衝撃を受けたとすれば、直ちに停止してその原因を調査するのが自然な態度である。ところが、前掲各証拠によれば、原告はその場に停止することなく、フロントガラスが大破して雨が降り込むのにかかわらず、そのまま約七キロメートルの距離を運転を継続して自宅に帰つていることが認められ、このことは極めて異常な行動ということができる。

このような事実を考え合わせると、原告は少なくとも未必的には本件事故により人に衝突したとの認識を有していたものと認めるのが相当であつて、原告の主張は採用できない。

(三)  原告の行為と被害者の死亡との間の相当因果関係について

原告は、本件事故は原告の車両が被害者に衝突した後に後行の車両が被害者を轢過して死亡させた二重轢過事件であるから、原告の行為と被害者の死亡との間には相当因果関係がない、と主張する。

しかし、本件事故は前記認定のように二重轢過事件ではあるが、前記各証拠によれば、原告の車両の被害者への衝突と被害者の死亡との間はいわゆる相当因果関係があることが明らかに認められるから、原告の主張は失当である。

(四)  まとめ

以上のように、事実誤認の主張は理由がない。

三裁量権の濫用の主張について

前記一の当事者間に争いがない事実及び二において認定した事実によれば、原告は、東京消防庁赤坂消防署予防課長の職にあつたが、飲酒の上、自動車を運転し、前方不注視の過失により歩行者に衝突し死亡させるという交通事故を引き起し、更に被害者を救護する措置を講ぜず、警察官にも報告しなかつたというものである。そして、〈証拠〉によれば、右の交通事故は昭和五〇年四月二五日のテレビ及び翌二六日の新聞によつて報道されたことが認められ、このことをも併せ考えると、原告は、住民の生命、身体、財産を保護すべき任にある消防職員として、しかも予防課長という管理職の地位にあるものとして、その職の信用を著しく傷つけ、また、全体の奉仕者たるにふさわしくない非行があつたものということができ、実体的には、原告が地方公務員法二九条一項一号及び三号に該当するものとして懲戒免職処分を受けても、裁量権の範囲内の処分として、やむを得ないところであると認められる。

原告は、原告の行為として証拠上認定することができるのは、原告の過失により被害者に原告運転の車両を衝突させ、その直後被害者が他車により轢過されて死亡した事実のみであることを前提として、裁量権の濫用を主張するけれども、原告の行為は前記二のとおりであると証拠上認められるから、原告の主張はその前提を欠き、失当である。

次に、原告は本件交通事故については被害者にも重大な過失があるから、裁量権の濫用があると主張する。なるほど、〈証拠〉によれば、本件交通事故については、被害者にも降雨のため見通しが悪いのに、深夜飲酒の上歩車道の区別のある国道の車道上を黒つぽい服装で歩行したという過失があることが認められるけれども、この事実を考慮に入れても、原告の行為の重大性に鑑みれば、懲戒免職処分が裁量権の濫用であるとはいえない。

更に、原告は、事故直後に妻を介して迷惑をかけたとして退職の意思を表示しているのであるから、懲戒免職処分によらなくても妥当な処分をすることが可能であつたと主張するけれども、懲戒免職処分に相当する理由が存在する場合には、本人が退職の意思を表明していたとしても、懲戒免職処分をすることを妨げられないことはいうまでもなく、原告の主張は失当である。

四処分手続が違法であるとの主張について

1  本件処分に至る手続について

〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  事件の発覚

赤坂消防署長福元賢一は、昭和五〇年四月二五日午後四時すぎ、原告の妻からの電話連絡を受けた同署予防課予防係長杉田昭治からの報告や埼玉県警察本部交通指導課長からの電話連絡により、原告が人身事故を起こして緊急逮捕されたことを知つた。そこで、赤坂消防署長は、直ちに前記の懇親会に出席し原告と行動を共にした予防課危険物係長田中齋から、原告の飲酒の状況及びその後の行動を聴取する等した後、同日午後四時三〇分ころ、東京消防庁人事課長事務取扱二宮政直(以下「人事課長」という。)に対し、覚知した事実を報告した。人事課長は、直ちにこれを人事部長に報告し、また、当時長野県松本市に公務出張中の東京消防庁消防総監山崎達三に対し電話で報告した。

(二)  事実の調査

人事課長は、赤坂消防署長に対し、原告の留置されている春日部警察署へ行つて事実調査をするように指示した。赤坂消防署長は、同署の係長三人及び東京消防庁人事課の浅川進司令と共に春日部警察署へ出発し、同日午後七時三〇分ころ同署へ到着した。赤坂消防署長らは、午後七時四〇分ころから午後八時一〇分ころまでの間、同署において、当直の交通主任の飯島武司巡査部長と面会し、同人から事故の概要、取調状況等を聴取した。その概要は、原告は同日午後二時ころひき逃げの容疑で逮捕されたこと、事故は同日午前〇時一〇分ころ埼玉県春日部市大字大枝四六八番地先国道四号線(日光街道)路上で発生したこと、原告は自己所有の自動車を運転して日光街道を北進中に歩行中の男(三〇歳くらい)に衝突し、死亡させたものであるが、原告は物に当たつたことは認めているが、人に衝突したことは否認し、ひき逃げの事実は否認していること、原告の自動車には車内に頭髪が付着していたほか、左前部ボンネットが損傷し、フロントガラスが破損しており、フロントガラスの破片及び自動車の塗料は鑑識の担当者が調査中であること、事故を目撃した後続車の運転手が原告の車両番号の一部を警察へ通報したことから警察において捜査の結果原告が引き起こした事故であることが判明したこと、被害者は即死したもので身元は判明していないこと、等であつた。赤坂消防署長らは原告と接見させてくれるよう依頼したが、捜査中であり、また、責任者が不在との理由で、断られた。赤坂消防署長らは、春日部警察署に証拠物件として領置されていた原告所有の乗用車を見分し、ボンネットの左前面に直径二〇センチメートルのへこみがあり、また、フロントガラスが全部取り外されている状況を現認した。

東京消防庁人事課の浅川司令は、右の事情聴取及び見分終了後直ちに電話で、人事課長に対し、その結果を報告した。赤坂消防署長も帰署後の午後一〇時ころ、右の事情聴取及び見分の結果を人事課長及び人事部長に報告した。人事課長は、浅川司令及び赤坂消防署長の報告を受けて、本件事案については何らかの懲戒処分にすべき事案であると考え、赤坂消防署長に対し、書面による事故報告と懲戒上申書を提出するよう指示した。

人事部長及び人事課長は、翌四月二六日午前九時ころから、人事部長室において、赤坂消防署長及び浅川司令からこれまでの調査結果について報告を受け、人事課長が直接春日部警察署へ行つて調査すること、原告の事故前夜の飲酒の状況について田中齋係長から事情を聴取すること等を決定した。そして、人事課長の指示により人事課監察担当の大鐘満は、田中齋係長から原告の事故前夜の行動について事情聴取をしたが、この中で、田中係長は、事故前日の四月二四日午後六時二〇分ころから「蝶や」で赤坂危険物安全会の懇親会が新旧予防課長の歓送迎会を兼ねて開催され、原告は主賓として出席したこと、宴会は午後七時四五分ころ中締めがあり、その後も原告はその場に残つていたこと、午後八時四〇分ころ宴会は解散となり、原告ら消防署職員数人と赤坂危険物安全会の役員数人とは、二次会としてスナック「文鳥」へ行き、同店では水割りが出されたこと、原告と田中係長とは同日午後九時四〇分ころ「文鳥」を出て、地下鉄赤坂見附駅へ行つたこと、その時原告は顔色が青みがかつていたこと、原告と田中係長とは自宅の方向が同じなので、同駅から地下鉄丸の内線の電車に乗車したところ、原告は、次の国会議事堂前駅で急に「降りる」といつて下車したこと等の供述をした。

更に、人事課長及び人事課浅川司令は、原告と接見をして直接事情聴取するため、同日午前一一時四〇分ころ春日部警察署に到着した。人事課長らは、春日部警察署長野村重彦に対して、原告との接見を申し入れたが、同署長から捜査の必要を理由に接見を拒否された。そこで、人事課長らは、同日午前一一時五〇分ころから午後〇時三〇分ころまでの間、同署長から原告の取調状況について事情を聴取した。この事情聴取における同署長の説明の概要は、原告は、四月二四日午後九時四〇分ころ地下鉄国会議事堂前駅で部下と別れ、その後都内某所からせんげん台駅までタクシーで来て、そこから自己所有車両を運転し、自宅に向つたと供述していること、原告は、帰宅途上、何らかの物体と衝突した事実は認めているが、人に衝突し、逃走した事実は否認していること、しかし、原告が何らかの物体と衝突したという場所はひき逃げ事件発生の場所と一致しているので、警察としては、原告が人に衝突したことは間違いないと考えていること、被害者は原告の車両の左前ボンネットに衝突された後、ボンネット上にあがり、更にフロントガラスに当たつたものと思われること、目撃者の話では原告は事故後停止せずに逃走したといつているところ、事故内容からして事故の発生が分からなかつたということは不自然であると思われること、原告は目撃者の視認した車両番号を手がかりとして容疑者とされ逮捕されたこと、原告の車両は左前ボンネットが損傷し、フロントガラスも割れており、このフロントガラスは現場に落ちていたフロントガラスの破片とも一致し、また、車内には頭髪、血痕も付着していること、車内を清掃した形跡もあり証拠隠滅行為も若干認められること、被害者は木刀を持つて車道を歩いていたもので被害者にも責任があること、などであつた。また、人事課長らは、同署山中己代志交通係長立会いの上、同署に領置されていた原告所有車両を見分し、ボンネット部分の破損やフロントガラスがないこと、車内に頭髪が付着していることを確認した。人事課長は、右の事情聴取及び見分終了後直ちに、午後〇時四〇分ころ、その結果を人事部長に電話で報告をした。

(三)  職員審査委員会による懲戒の答申

赤坂消防署長は、前記のような春日部警察署における事情聴取や赤坂危険物安全会の懇親会に出席した職員らの供述等の調査に基づき、東京消防庁服務監察規程一〇条に基づき人事部長あての交通事故調査報告書を作成して、同月二六日、人事部長に提出すると共に、東京消防庁消防職員懲戒取扱規程三条に基づき、原告の引き起した交通事故につき非違行為として、責任を厳しく追及すべきものと思料するとの意見を付して、第一消防方面本部長を経由して、消防総監に対して懲戒上申をした。第一消防方面本部長も、同日、右懲戒上申につき厳しい処分が相当と認められるとの意見を付した。

赤坂消防署長の懲戒上申は、東京消防庁消防職員懲戒取扱規程五条に基づき、職員審査委員会において審査されることとなつた。同委員会は、同月二六日午後〇時三〇分から、人事部長室において、委員長である人事部長の外、委員の川島厳、今津博、富樫三郎及び曽根晃平並びに書記の人事課審査係長大石常隆が出席して開催された。同委員会においては、赤坂消防署長の前記上申及び報告書、田中危険物係長からの事情聴取の内容、春日部警察署へ調査に行つた人事課長からの電話報告等を資料として検討が開始され、午後二時ころからは春日部警察署での調査から帰庁した同委員会の委員である人事課長も出席し、人事課長から春日部警察署における調査の結果につき詳細な報告が口頭で行われた。右委員会は、審議の結果、「原告は、昭和五〇年四月二五日午前〇時一〇分ころ、埼玉県春日部市大字大枝四六八番地先四号線国道を飲酒の上自家用普通乗用自動車を運転して走行中交通事故を起こし、その措置と警察官への報告を怠り、人を死に至らしめた。」との事実を認定し、原告の行為は、消防職員として、また赤坂消防署予防課長という管理職の地位にあるものとして、職の信用を著しく失墜し、また、全体の奉仕者としてふさわしくなく、その責任を厳しく追及しなければならないとして、懲戒免職処分が相当であるとの結論に到達し、消防総監に対しその旨の答申をすることと決定した。同委員会が、右のような事実認定をし、懲戒処分が相当である旨の結論に到達する根拠となつた資料は、赤坂危険物安全会の懇親会出席者からの事情聴取、春日部警察署長及び同署飯島巡査部長からの事情聴取がその主なものであつた。そして、同委員会委員長である人事部長は、同日、午後五時ころ、人事課長を通じて、当時長野県下に出張中であつた消防総監に対して、その旨の答申をした。

(四)  懲戒免職処分の決定とその告知

消防総監は、職員審査委員会の右の答申を受けて、答申の意見のとおり、同月二七日付で原告を地方公務員法二九条一項一号及び三号により懲戒免職することを決定した。そして、赤坂消防署長及び人事課浅川司令は、同月二七日午後三時ころ、春日部警察署において、留置中の原告と面接して、懲戒処分の辞令と処分説明書を交付した。

(五)  原告の弁解を聴かなかつた理由

本件処分をするについては、原告の弁解を聴取する手続がとられていないが、その理由は、原告が逮捕中であつたため、捜査の必要から二度にわたる接見の申出が拒否されたこと、非違行為の内容を他の証拠から認定することができたこと、当時東京消防庁職員の庁舎建設に係る汚職事件により関係者の大量処分が行われた直後であり、これにより失われた都民の信用を回復すべく綱紀の粛清に庁を挙げて努力していた時期であり、本件交通事故の重大性からみて、早期に消防の信用を回復する必要があつたこと、等による。

2  本件処分手続の適法性について

(一)  告知・聴取の手続について

原告は、本件処分は、原告に対して懲戒の理由となる事実を告知し、これに対する原告の弁解を聴取する手続(以下「告知・聴聞の手続」という。)を経ないでされた点において、違法であると主張する。

行政庁が行政処分を行うについては、その処分の内容が実体的に適法であるのみならず、その手続においても適正かつ公正でなければならないことは、法律の規定をまつまでもなく当然のことがらである。ただ、ある行政処分について適正かつ公正な手続の内容としてどのようなものが必要とされるかについては、当該行政処分の目的、性質、これにより規制を受けるべき権利、自由の種類、性質、規制の態様、程度その他一切の事情をしんしやくしつつ、当該行政処分に関する法律の規定全体について検討を行つて個別的に決するほかはなく、告知・聴聞の手続を経ることが常に必ず必要であるとはいえない。

そこで、まず、地方公務員である東京消防庁の消防職員の懲戒手続に関する法令の規定をみると、地方公務員法二九条二項は、「職員の懲戒の手続及び効果は、法律に特別の定がある場合を除く外、条例で定めなければならない。」とし、同法四九条一項は、「任命権者は、職員に対し、懲戒その他その意に反すると認める不利益な処分を行う場合においては、その際、その職員に対し処分の事由を記載した説明書を交付しなければならない。」と定めており、〈証拠〉によれば、東京都においては、地方公務員法二九条二項に基づく条例として、職員の懲戒に関する条例(昭和二六年東京都条例第八四号)が制定されており、その二条は、「戒告・減給・停職又は免職の処分は、その旨を記載した書面を当該職員に交付して行わなければならない。」と定めていることが認められるにとどまり、懲戒処分に際し告知・聴聞の手続をとるべき旨を定めたものは存しない。従つて、法令の規定上は告知・聴聞の手続を被処分者の権利として保障したものと解することはできず、告知・聴聞の手続をとるか否かは処分をする行政庁の裁量に委ねられているものと解することができる。ただ、懲戒処分の中でも懲戒免職処分は被処分者の実体上の権利に重大な不利益を及ぼすものであるから、処分の基礎となる事実の認定について被処分者の実体上の権利の保護に欠けることのないよう、適正・公正な手続を履践することが要求されるというべきである。このような観点から考えると、告知・聴聞の手続を経ることは、手続上不可欠のものではないが、右の機会を与えることにより、処分の基礎となる事実の認定に影響を及ぼし、ひいては処分の内容に影響を及ぼす可能性がある場合であるにもかかわらず、右の機会を与えなかつたときには、その手続は、適正・公正な手続ではなく、これによつた処分は違法となるが、そうでない場合には、右の機会を与えなかつたとしても処分は違法とはならないものと解するのが相当である。

なお、原告は、東京消防庁消防職員懲戒取扱規程三条において、所属長が消防長に懲戒上申をする際に非違者の始末書又は供述調書を添えてしなければならない旨を規定しているのは、懲戒手続において非違者に事実を告知しその弁解を聴取すべき旨を定めた趣旨であると主張し、〈証拠〉によれば右規程三条には原告主張のとおりの規定があることが認められるけれども、右の規定は、上申者に対し、懲戒上申に際しその証拠を添付すべき旨を命じたもので、通常非違者の始末書又は供述調書は最も重要な証拠の一つであるからここに掲げられたにすぎず、非違者に対する事実の告知、弁解の聴取が必要的であることを定めたものとは解されず、合理的な理由があるときは、非違者の始末書又は供述調書を添付しなくとも差し支えないものと解するのが相当である。

また、原告は、地方公務員法二七条一項が「すべて職員の分限及び懲戒については公正でなければならない。」と規定していることを根拠として、懲戒の手続が公正適正でなければならず、被処分者に対する告知・聴聞の手続が必要とされると主張するけれども、右の規定が懲戒について単に実体的に公正であるのみならず、手続的にも公正でなければならないことをも規定していると解するとしても、その手続の公正の内容として被処分者に対する告知・聴聞の手続が必要とされるか否かは、懲戒の手続を定める法令の規定が、被処分者に対してそのような手続を受ける機会を保障しているか否かによつて決すべき問題であつて、地方公務員法二七条一項の規定から直ちにそのような手続を受ける機会が保障されているものということはできない。

そこで、本件処分について、告知・聴聞の手続をとつていたとすれば、事実の認定に影響を及ぼす可能性があり、ひいては処分の内容に影響を及ぼす可能性があつたか否かを検討する。

本件処分の基礎となつた事実は、前記の本件処分説明書記載のように、「国道を飲酒の上自家用普通乗用自動車を運転して走行中交通事故を起こし、その措置と警察官への報告を怠り、人を死に至らしめた。」というものであるところ、前記四の1の冒頭に掲記の各証拠によれば、原告が自家用普通乗用車を運転して走行中交通事故を起こして人を死に至らしめ、被害者の救護、警察官への報告を怠つたことは、当時被告が収集した証拠によつて明らかであり、原告も衝突したのが物でなく人であるという点を除いては、事実を認めていたものであつて、告知・聴聞の手続を与えたからといつて、この事実の認定が覆る可能性はなかつたものと認められる。次に飲酒の点については、前記認定のように、原告が事故前夜赤坂消防署の関係者らと共に赤坂危険物安全会の懇親会及び二次会に出席していたため、所属長である赤坂消防署長も途中まで原告と同席していたうえに、懇親会から二次会を経て地下鉄の国会議事堂前駅まで原告と行動を共にした田中齋係長から原告の行動について詳細に事情を聴取し、これらの資料に基づいて原告が懇親会及び二次会において飲酒したと認定したものであつて、この認定は相当の根拠があるものということができ、原告に弁解の機会を与えたとしてもこれが覆る可能性があつたものとは認められない。更に、原告が人に衝突したと認識していたかどうかについては、前記認定のように被告は、原告が警察において人ではなく物に衝突したと弁解していることを念頭におきつつ、二度にわたる春日部警察署における警察官からの事情聴取及び原告所有車両の見分により、事故の態様は、被害者が原告所有車両のボンネット上にはね上げられて後路上に投げ出されたというもので、その衝撃は相当のものであろうと推測され、現に原告所有車両のボンネットにへこみが生じ、フロントガラスが破損している状況を現認したうえで、原告は人と衝突したと認識し、少なくとも認識することができたものと認定したものであつて、これまた相当の根拠に基づいており、この認定を覆す反論を想定することは困難であるから、原告に弁解の機会を与えたとしても右の認定を覆す可能性があつたものと認めることはできない。

そうであるとすれば、本件処分について告知・聴聞の手続を経ていたとしても、事実の認定に影響を及ぼす可能性があつたものと認めることはできず、告知・聴聞の手続を経ていないからといつて、処分の手続に違法があるということはできない。

(二)  次に、原告は、本件処分は赤坂消防署の職員が事故を覚知して後極めて短時間のうちに行われ、しかも十分な調査に基づいて行われたものでない点で違法であると主張する。

たしかに前記認定のように、本件処分は赤坂消防署の職員による事実の覚知後極めて短期間のうちに行われたことは事実であるけれども、そのことの故をもつて処分を違法とすることができないのはいうまでもなく、問題はその処分が十分な事実上の根拠に基づくものであるか否かということである。本件においては、さきに認定したように法律及び条例に定める手続を履践したうえ、さきに認定したような資料に基づき、処分の基礎となる事実を認定し、それに基づき本件処分がされたものであつて、その手続に違法の点はなく、また、さきに認定した資料は処分の基礎となる事実を認定するに十分なものであつたから、本件処分は十分な事実上の根拠に基づくものであつて、これを違法とすることはできない。

(三)  よつて本件処分手続の違法という原告の主張は採用できない。

五結論

以上のとおり、本件処分には原告主張のような違法はないから、本件処分の違法を主張する原告の請求は理由がないものとして棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(今井功 矢崎博一 原啓一郎)

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